こんばんは、Nkzn@風呂上がりです。
なんとなく思ったことをサクッと書いてみます。
Subject=題名、って何のためにあるんでしょうね。
メールにせよ、ブログにせよ、SNSにせよ、
Subject | 今日の出来事 |
---|---|
本文 | リナカフェでついったったーがクーデターを起こした。どういうことなの……。 |
という形で1個の記録情報として成り立っていることはご理解いただけると思います。
さて、ここでメールにありがちなことですが、
Subject | さっき、 |
---|---|
本文 | 変態ついったったーに遭ったんだけど、通報し忘れた |
というふうに情報が構成されることがあります。
恐らく、この文章の筆者の心情としては「題名なんにしようかな。“無題”とか“no title”っていうのも味気ないからなあ。よし、題名から文章を書き始めよう!」ってな所なんでしょう。
でもそれ、文章の構成としてはどうなのよ?と思ってしまう部分もあります。
「題名は題名として読者を惹きつけるものであり、本文のSummery(=要約)として用いるのは間違っている。」
↑なんて文学者ぶった馬鹿馬鹿しいことを言う気はさらさらないですけどね。コミュニケーション手段は自由であるべきです。
ま、HTMLと似たようなものなんでしょうね。
<h1>〜<h7>タグは「文字の大きさを簡易に設定するもの」として認識されている場合がありますが、これは大きな誤りで、本来は「文章の見出し・小見出しを明記するもの」であったはずです。うろ覚えですが。
そういった「ツール化による、本来の意味からの逸脱」が、「Subject-本文」形式でも発生している、ということじゃないかな、と考えています。
それがどうした、って言われても、どうもしないんですけどね。ただ、mixi見てると「本来の意味から外れた」Subjectの使い方が多いなあ、と思っただけです。